師匠と頭山満

私の師匠と頭山満

三代目頭山家 当主

私の師匠と頭山満

20歳で家を買い、24歳で会社を設立。その後は天下を取ったかのようにやりたい放題だった私だが、30歳を過ぎる頃から、金や商売に束縛されて生きることよりも何か世のため人のためになる事をしたいと強く思いはじめ、それも身勝手だが全てを放り投げて浪人生活に突入した。
振り返ればいろいろあった人生だが、そのいろいろな事を通して唯一絶対に間違いないと学んだことは、心のあり方が人の境遇や運命を決めるということだ。自分の力ではどうすることも出来ない事柄と付き合う時は、心のもちかたに集中すべきだと。そして、それを教えてくれたのが、この頃、不思議な力に導かれるかのように出会った恩師、頭山立國氏であった。頭山満から数えて三代目、頭山家直系の、当主。会いたいと思って会える人でもなければ、会えるとしても誰もが畏怖するこの存在は、私にとっての最強であり、最大であり、最愛の人である。

頭山満

頭山とは何か・・・ということについては、今でも多くの人々が同じ様に述べている。玄洋社、大アジア主義、巨頭、右翼、右翼でも左翼でもない、ラス・ビハリ・ボース、金玉均、タゴール、孫文、蒋介石、広田弘毅、フィクサー、超国家主義者、云々・・・然るにこれらの文言は、頭山満翁が具備するところの卓越した精神が動いた結果をただ端的に表現したにすぎず、あるいは頭山満翁を語る座標の一部でしかない。
頭山の軌跡を縷々編纂することはできても、「頭山とは何か」、ということを言葉や文章で表現したり、答えを一つのものに統一したりすることはできないのだ。
が、しかしである。私からみて、例えば頭山家縁者が集まった時などに語られるそのお姿、逸話を拝させていただいていると感じることは、頭山満翁の、非常に単純でしかも純粋で究極の、人間愛なのである。
イギリスからの命令で身柄を引き渡さなければならなくなったビハリ・ボーズの命を救け、かくまったのも、中国の革命家を救け、革命を支援したのも、多くの偉人から慕われたのも、もちろん、日本国や日本国民を大事にし、皇室を敬戴する心を持ち、のみならずアジアでヨーロッパの植民地下におかれた大勢の人々を救うために心魂傾け、実際に救いの道をつけたのも、すべて、頭山翁が愛の人だったからである。

「天を敬い人を愛す」。

幼少期に触れたこの言葉に抱いた感動を何事にも投射し、徹底的に堅持した強さから出る本物の愛が、巨頭、頭山満を創りあげたに違いない。

自分より、どんな他人にも愛を振り向ける精神こそが、日本精神であり天道精神なのだ。

私は、明治維新成立にあたりイギリスの資本が日本を危うくしてから以降、その野蛮な価値観と闘うために無位無官を通し、アジアの植民地解放を救け、あるいは中国の革命を救け、国内においては薩長閥政治に睨みを利かせ、時には脅し、あるいは草莽浪人の救けとなった巨頭、頭山満の巨大な精神性と価値観、思想などを骨子としつつ、浮薄で、思慮が浅く、欲得でしかものを考えず、間違えを知らず、ものの道理を意識せず、筋を違えることを恐れず、神や仏に手を合わせるときは利益しか考えず、常に怯え、怒り、嘆く日本国民に一石を投じたい。

Fellow

仲間に逢いたい

私は頭山満の直孫を師匠とし、名門頭山家に長らく仕えているが、それ以前のもっと若い頃からも年長の人に気に入られることが多かった。善きも悪しきも師弟関係から得た養分が自分を育てたと言って過言でないが、人物の大小に関わらず昔はすべからく、若い時分から人は師を持ち、そこに仕える友と一緒に成長したものである。なるべく多くの人と関わり、目上からは情を受け、友と助け合いながら可能性を探るということが絶対に有益なのである。世間から人情が消えた今だからこそ、多様な仲間と出会いたい。

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