巨頭、頭山満は、天の理と示さるる道を真っすぐに生きた西郷隆盛を範とし、その精神を心に焼き付け、
ゆえに人を愛し、弱者に手を貸し、人としての王道を貫いた。然るにその生き方は、
必ず死にゆく人間が歩むべき真の生き方であり、しかもこの価値観が世界に広まれば、絶対に、
世界平和が実現するというものである。
今一度、考えよう。私たちはサムライの子孫であることを。
<苦しみや不安を消し去る頭山満の精神と思想>
大隈重信 天保9年2月16日〈1838年3月11日〉- 大正11年〈1922年〉1月10日) 世界平和の趨勢(青空文庫より引用)
「近世に於ける欧州の戦費の五百億は皆猶太人(ユダヤ人※)のポッケットより出たものである。かの世界第一の富豪ロスチャイルド家の如きも、各国の政府に金を貸し付けて戦わしめ、また軍備を拡張せしめ、これによって得たところの収益で現時の富をなすに至ったものである。而して今や資本家の勢力は政府を左右し、平和の継続、戦争の開始、軍備の拡張、軍事費の増加をその意思のままにすることが出来る。政府はただ資本家の欲するがままに動く。」
※ こちらで注釈しました。
古来日本人の生き方、価値観や思想は、自らを浄め精神性を高めることにより不幸という束縛から離れ、精神の自由を以って本質的な喜びに邂逅できるとしていた。今でも少しの日本人が、誰かに教わらなくても感じている「徳」や「業」にまつわる考え方は、二千年以上もの間、日本人が追求し、守り、しかし失ってしまった大義なのである。然るにそれを学び、そのように生きることを目指せば、心も現象も明るくなり、自分自身を超越できるようにもなるのである。
一真会では、このプロジェクトを通して、開催地域の住民と繋がり、その地域から選出された政治家や自治体の問題点や良い部分などを明るみにし、あるいはその地域から立候補する予定の政治家を応援したりといった政治活動を行います。
明治期以降、大正、そして昭和初期までの間、人種や民族、国境の壁を越えて徹底的に弱者を救済し、あるいは世のため人のためを働くために自己を空しくし完璧な利他、愛他の精神を貫いた人類最強の豪傑、頭山満。
その優しさは植民地化されていたアジアの人々から強く頼られ、しかしながらその厳しい武士道は米英指導者層の矜持を締め付けた。そして今、究極の優しさと強さを兼ね備えた精神の系譜は直孫の代へと受け継がれ、生きている。私は、その頭山家の本家三代目当主に長らく仕え、末席を汚しているが命を懸けて修行する小僧である。
頭山家三代目当主 頭山立國会長付
一真会代表 小倉真司
私の師、頭山立國の祖父、頭山満翁がまだ少年だった頃の話し。翁は、竹馬の友を誘って近くの川へと急ぎ向かっていた。ふんどし一枚になり、友達と川へ飛び込んだが、友達の姿が見当たらない。ひとまず川岸に戻り、陽の反射できらめく水面を眺めていたその時、目に入ったのは友が溺れている姿。
「しまった。奴は泳げなかったか」
深さはどうとか流れは速いかなど気にするそぶりを見せないのが九州男児。
翁は、急ぎ川に飛び込んで、友の身体を抱きかかえ、川岸に戻ろうとしたが、泳ぎに自信がある翁でもひと一人を抱えて泳ぐには限界がある。
川の流れには、二人を流すに十分な勢いがあった。
このままでは二人とも溺れ死んでしまう。
泳ぎが得意な翁は、自分だけ助かることも出来ただろう。が、卑怯者になるわけにはいかない。人として生まれたからには、自分の魂を自分で貶めるわけにはいかないのだ。翁は、友達を見捨てなかった。
「二人で死ぬしかないか」
もがき苦しみながら、そう思ったその時である。翁の必死さと友に対する誠意が天に伝わったか、川底に向けていっぱいに伸ばした足の先に、岩の手ごたえが感じられたのだ。
「もう少しじゃ!頑張らんか!」
足先に触れた岩を頼りに、丹田に込めた力がもう一方の足を前に出す。
「また岩だ!」
二人は、難を免れた。
その時、頭山翁が悟ったことは、真(まこと)も誠(まこと)も、「一つのまこと」だということ。
誠意をもって、真を尽くす事こそが本当の「まこと」に通じると。
真誠(しんせい)ひとつのまことなり!
将来、日本のみならずアジア諸国や欧米にまでその名を轟かせた、最後のサムライ、頭山満翁の超越性は、「真」の字に、大きな徳の装飾を施したのだった。
私は、自分の人生を締めくくるくらいの覚悟を以って、行く道を定めることができた時には、会を作り、その名前を師匠から戴こうと心に決めていた。
「どこまでできるか分かりませんが、私が終わるまでは私のできることをしたいと存じます。会を作りますので、是非とも命名をお願い致します」
それから数週間、名前の話しには触れられなかったので、私も控えていたのだが、ある日、珍しく「今から会えないか?」と急な呼び出しを受け、本家ご自宅でこの話しをされた。
真誠ひとつのまことなり。
「君の会の名前にしたら良い」
一つのまこと、すなわち一つの真の会。一真会と。
蛇足だが、「真」という字は、私の名前も由来している。
20歳で家を買い、24歳で会社を設立。その後は天下を取ったかのようにやりたい放題だった私だが、30歳を過ぎる頃から、金や商売に束縛されて生きることよりも何か世のため人のためになる事をしたいと強く思いはじめ、それも身勝手だが全てを放り投げて浪人生活に突入した。
振り返ればいろいろあった人生だが、そのいろいろな事を通して唯一絶対に間違いないと学んだことは、心のあり方が人の境遇や運命を決めるということだ。自分の力ではどうすることも出来ない事柄と付き合う時は、心のもちかたに集中すべきだと。そして、それを教えてくれたのが、この頃、不思議な力に導かれるかのように出会った恩師、頭山立國氏であった。頭山満から数えて三代目、頭山家直系の、当主。会いたいと思って会える人でもなければ、会えるとしても誰もが畏怖するこの存在は、私にとっての最強であり、最大であり、最愛の人である。
頭山満
頭山とは何か・・・ということについては、今でも多くの人々が同じ様に述べている。玄洋社、大アジア主義、巨頭、右翼、右翼でも左翼でもない、ラス・ビハリ・ボース、金玉均、タゴール、孫文、蒋介石、広田弘毅、フィクサー、超国家主義者、云々・・・然るにこれらの文言は、頭山満翁が具備するところの卓越した精神が動いた結果をただ端的に表現したにすぎず、あるいは頭山満翁を語る座標の一部でしかない。
頭山の軌跡を縷々編纂することはできても、「頭山とは何か」、ということを言葉や文章で表現したり、答えを一つのものに統一したりすることはできないのだ。
が、しかしである。私からみて、例えば頭山家縁者が集まった時などに語られるそのお姿、逸話を拝させていただいていると感じることは、頭山満翁の、非常に単純でしかも純粋で究極の、人間愛なのである。
イギリスからの命令で身柄を引き渡さなければならなくなったビハリ・ボーズの命を救け、かくまったのも、中国の革命家を救け、革命を支援したのも、多くの偉人から慕われたのも、もちろん、日本国や日本国民を大事にし、皇室を敬戴する心を持ち、のみならずアジアでヨーロッパの植民地下におかれた大勢の人々を救うために心魂傾け、実際に救いの道をつけたのも、すべて、頭山翁が愛の人だったからである。
「天を敬い人を愛す」。
幼少期に触れたこの言葉に抱いた感動を何事にも投射し、徹底的に堅持した強さから出る本物の愛が、巨頭、頭山満を創りあげたに違いない。
自分より、どんな他人にも愛を振り向ける精神こそが、日本精神であり天道精神なのだ。
一真会の会員になると
明治四十三年。『冒険世界』という雑誌が発表した「現代豪傑」ランキングで、頭山翁は11,538票を獲得、三浦観樹(8,731票)、乃木希典(7,377票)らを抑えて一位に輝いた。このランキングに付された頭山評には「その人気一世を籠蓋し、その人格蒼莽方物すべからず、ある時は深沈大度の英雄の如く、ある時は深山大沢の魔物の如く、また山師の如く、国士の如く、万金を抛って志士を養ふ。その着眼非凡にして一種奇異の人物たり」とあった。今の日本人では到底理解しがたい評価基準だろうが、この、一般人が行った頭山に対する評価こそが大人物を語る本来の指標なのである。目を覚ませ!日本人!