師匠による命名

一真会 名前の由来

真誠ひとつのまことなり

一真会という名前の由来

私の師、頭山立國の祖父、頭山満翁がまだ少年だった頃の話し。翁は、竹馬の友を誘って近くの川で遊ぼうと急ぎ川へ向かっていた。ふんどし一枚になり、友達と川へ飛び込んだが、友達の姿が見当たらない。ひとまず川岸に戻り、陽の反射できらめく水面を眺めていたその時、目に入ったのは友が溺れている姿だった。

「しまった。奴は泳げなかったか」

深さはどうとか流れは速いかなど気にするそぶりを見せないのが九州男児。
翁は、急ぎ川に飛び込んで、友の身体を抱きかかえ、川岸に戻ろうとしたが、泳ぎに自信がある翁でもひと一人を抱えて泳ぐには限界がある。
川の流れには、二人を流すに十分な勢いがあった。

このままでは二人とも溺れ死んでしまう。

泳ぎが得意な翁は、自分だけ助かることも出来ただろう。が、卑怯者になるわけにはいかない。人として生まれたからには、自分の魂を自分で貶めるわけにはいかないのだ。翁は、友達を見捨てなかった。

「二人で死ぬしかないか」

もがき苦しみながら、そう思ったその時である。翁の必死さと友に対する誠意が天に伝わったか、川底に向けていっぱいに伸ばした足の先に、岩の手ごたえが感じられたのだ。

「もう少しじゃ!頑張らんか!」

足先に触れた岩を頼りに、丹田に込めた力がもう一方の足を前に出す。

「また岩だ!」

二人は、難を免れた。

その時、頭山翁が悟ったことは、真(まこと)も誠(まこと)も、「一つのまこと」だということ。

誠意をもって、真を尽くす事こそが本当の「まこと」に通じると。

真誠(しんせい)ひとつのまことなり!

将来、日本のみならずアジア諸国や欧米にまでその名を轟かせた、最後のサムライ、頭山満翁の超越性は、「真」の字に、大きな徳の装飾を施したのだった。

私は、自分の人生を締めくくるくらいの覚悟を以って、行く道を定めることができた時には、会を作り、その名前を師匠から戴こうと心に決めていた。

「どこまでできるか分かりませんが、私が終わるまでは私のできることをしたいと存じます。会を作りますので、是非とも命名をお願い致します」

それから数週間、名前の話しには触れられなかったので、私も控えていたのだが、ある日、珍しく「今から会えないか?」と急な呼び出しを受け、本家ご自宅でこの話しをされた。

真誠ひとつのまことなり。

「君の会の名前にしたら良い」

一つのまこと、すなわち一つの真の会。一真会と。

蛇足だが、「真」という字は、私の名前も由来している。

頭山がひとたびまなじりを決せば、支那四百余州を震撼せしめる

明治四十三年。『冒険世界』という雑誌が発表した「現代豪傑」ランキングで、頭山翁は11,538票を獲得、三浦観樹(8,731票)、乃木希典(7,377票)らを抑えて一位に輝いた。このランキングに付された頭山評には「その人気一世を籠蓋し、その人格蒼莽方物すべからず、ある時は深沈大度の英雄の如く、ある時は深山大沢の魔物の如く、また山師の如く、国士の如く、万金を抛って志士を養ふ。その着眼非凡にして一種奇異の人物たり」とあった。今の日本人では到底理解しがたい評価基準だろうが、この、一般人が行った頭山に対する評価こそが大人物を語る本来の指標なのである。目を覚ませ!日本人!

Fellow

仲間に逢いたい

私は頭山満の直孫を師匠とし、名門頭山家に長らく仕えているが、それ以前のもっと若い頃からも年長の人に気に入られることが多かった。善きも悪しきも師弟関係から得た養分が自分を育てたと言って過言でないが、人物の大小に関わらず昔はすべからく、若い時分から人は師を持ち、そこに仕える友と一緒に成長したものである。なるべく多くの人と関わり、目上からは情を受け、友と助け合いながら可能性を探るということが絶対に有益なのである。世間から人情が消えた今だからこそ、多様な仲間と出会いたい。

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