信仰を毛嫌いする類稀な国民
Religion
日本とは、あらゆる真に通じる素因が集結した泉である
胚芽より萌え、花が咲き木となる形態が不変であるように
有機システムと観ぜる国家の命運は、個人への、着胚されたる真実の心にまず養分を与えることが始めであり
道理であり、不変の順位なのである
日本人を自覚して社会を生き、心は愉悦に溢れんと
国家として良き手本たらしめていた明治期の日本より以上の国家社会を作り上げる可能性は
宗教に対する思弁の回復にあるのだ
人格的なセンスの長養を目指す日本の賢者、そして日本の仏教精神が世界の未来を変えるだろう
たとえ親しい中であっても、宗教の話はするべきでないという異常さ。世界中を見渡してこんな国がどこにある?
Anti-globalization
新興宗教について知見を深め、仏教の思想や価値観、哲学を整える
農耕民族である我々の先祖が恐れた旱魃(かんばつ)の(魃-ばつ)の字は、日照りの神の名前だそうである。長く雨が降らぬのは魃による戒めであると、彼らは懺悔し、神に供養した。
たった一度だけの旱魃によりそれまでの一年が無駄になり、その先の一年が消滅してしまう。
『なぜ、こんな目に遭わねばならぬのか』
と、このとき浮かぶ-なぜ-の思惟は現実の中に行き場がなくゆえに、自動的に神仏論へと内省を運ぶのだ。
日頃の行いの中に不浄はなかったか・・・。 神に障るような罪を犯していないかと、彼らは、 誰に強要されたわけでもなく各々に神を覚えていた。
・・・
「日本人とは何か」ということを虚構せず宣うために頼れる客観者の言葉がここにある。これは、日本に始めてキリスト教を布教したフランシスコ・ザビエル(1506~1522)ら宣教師の言葉である。
日本人ほど盗みを嫌う人民は、世界にない。
父母を尊び、もし親不孝する者あれば必ず神罰を被ると信じ、名誉を重んじ、貪欲を嫌い、勇気があって忍耐強く、災害にかかっても悲しまず、危難に直面しても恐れず、喜んでも怒ってもそれを顔色に表さず、多言を卑しんで言葉数が少ない。
しかし日本人は、そうあることを名誉とせず、そうでないことを恥としていた。 高度なる精神主義者たらしめんと、これは単に、天の赤子に能うその価値を内に醸成させた結果である。
・・・
たとえ孔子が神を語らなくても、日本の儒学道徳ではそれを語った。
『日本人は、親不孝すれば必ず天罰が下ると信じていた』
ザビエルら宣教師が言うごとく我々の先祖は、徳治であろうとも実証論的であるそもそもの儒学に仏教的な概念を挿入し、和学の一つとして独自の道徳体系を編纂したのだ。
これは感覚の問題であり、あるいは歴史と仏教が作り上げたセンスである。
そしてこのセンスが、魂より溢れんばかりの強い精神性を発露させ、たとえ幼児であろうともその形而上学的な理性を弛緩させないとした善への磁力たらしめていたのである。
力のあるセンスであった。
そしてそれは空想世界に依拠するものではなく、我々の祖先が具体的に経験することによって実証論化したつまり事実に基づく知性だったのだ。
日本人らしさ
これが人間として地上に生きる者のセンスである。
今や、あまり感心されないこの言葉は、しかし我々日本人の心の奥深くには(善)、あるいは(聖賢なる大人)の手本として確かに呼吸しているのだ。
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私は頭山満の直孫を師匠とし、名門頭山家に長らく仕えているが、それ以前のもっと若い頃からも年長の人に気に入られることが多かった。善きも悪しきも師弟関係から得た養分が自分を育てたと言って過言でないが、人物の大小に関わらず昔はすべからく、若い時分から人は師を持ち、そこに仕える友と一緒に成長したものである。なるべく多くの人と関わり、目上からは情を受け、友と助け合いながら可能性を探るということが絶対に有益なのである。世間から人情が消えた今だからこそ、多様な仲間と出会いたい。